熱処理を知る前に

(1)金属原子の並び方(結晶構造の話し)

 

 

  金属材料からできている色々な部品の諸特性は、基本的には添加されている合金元素の種類と量によって変化しますが、加熱、冷却条件などによっても、硬くなったり軟らかくなったり、伸びたり縮んだり、また、錆びやすくなったりします。このように諸特性がどうして変わるのか、どのように変わるのか、熱処理技術を学ぶ前に基礎的な知識として、金属原子の並び方や加熱、冷却によってどのような変化をするのか、理解しておくことが大切です。

 気体や液体は原子が自由に飛びまわり、決まった形を取っていませんが、人が規則正しい細胞の並びによって成り立っているように、固体における鉄鋼材料もまた鉄固有の原子が規則正しく配列をしています。この原子の規則正しい並び方を結晶格子と云います。他にもまだありますが一般的には、体心立方格子、面心立方格子、稠密六方格子の3種類のタイプに大別されています。ボール1個の大きさは直径が1億分の2〜3cm(1億分の1cm=10−8Å:オングストローム)位であり、金属は結晶体ですから、このボールが三次元的に規則正しく並んでいるわけです。

体心立方格子(bcc):ボールの中心は立方体の8つの角と、その中心に1個計9個です。実際には(b)のようになっているため単位格子が持つ原子数は合計2個です。

面心立方格子(fcc):ボールの中心は立方体の8つの角と、6つの面の中心に配置されています。実際には(d)のようになっているため合計で4個保有していることになります。いずれの場合も、ちょうど角砂糖のようなサイコロ状になっています。一辺を稜と云い、その長さをnm(ナノメートル)という単位で測定すると、bccの場合は0.286nm、fccは0.366nmです。これは1cmの長さを東京から大阪まで引伸してやっと角砂糖の大きさです。もう1つ稠密六方格子と云うのがありますがが、熱処理関係では高圧下で興味の有る格子です。しかしながら、一般的な熱処理では直接関係がないので省略しました。

(2)鉄原子の並び方(変態の話)

   常温における鉄は体心立方結晶構造の並び方をしています。このような結晶構造を金相学的にα鉄(アルファ鉄)、金属組織的にはフェライトと呼んでいます。このα鉄は912℃までは安定ですが、これより温度が高くなると面心立方結晶構造のγ鉄(ガンマー鉄)に変わります。γ鉄をオーステナイトと呼び、さらにこのγ鉄は1394℃までは安定した状態を示しますが、それ以上の温度から融点までの間では、再び体心立方結晶構造のδ鉄(デルター鉄)に変化します。このように結晶構造が体心から面心、面心から再び体心に変化することを変態と呼び、変態する温度を変態点と云います。また、この変態を同素変態と呼んでいます、したがって、鉄には同素変態が3つあることになります。この他α鉄はさらに780℃において強磁性体から常磁性体になり、磁力が失われます。この変化は原子中の電子状態が変わるのみであり、同素変態と区別して磁気変態と呼んでいます。表8は各変態における原子密度と格子常数を示したものです。また、α鉄は前述したごとく、高圧になると稠密六方結晶構造のε鉄(イプシロン鉄)に変化します。この変態は高圧下でA変態点が低温側へ移動する現象です。超高圧、超高温、超真空などにおいて、特殊な加工を行う場合や特殊な用途を考る場合には必要かも知れません。  

(3)固溶体

常温の鉄を加熱して温度を上昇させると膨張します。しかし、ある温度になると突然収縮します。また、温度を下げてくると加熱の時と逆な現象が現れます。これは前述したように(bcc)構造の鉄が、ある温度に達すると突然(fcc)構造の鉄に原子配列が変わるからです。つまり、α、γ、δの3つの鉄がα⇔γ⇔δに可逆的に変化するからです。いずれの変態においても、固体内において温度の変化によって原子の配列(並び方)が変わる現象です。実際の鉄鋼材料においては、鉄という固体の中に固体のC、Mo、Cr、Si、Mn、などが溶け込んでいる状態です。このように固体の中に固体が溶け込んでいる状態を固溶体と云います。固溶体を作る場合、2通りの方法があります。1つは(a)のように侵入型固溶体と呼ばれるもので、結晶格子のすき間に元素が侵入する形です。鉄鋼材料の場合、侵入できる元素はCの他H(水素)、B、N(窒素)、O(酸素)の5つだけです。これらはいずれも鉄の原子間隔(格子常数)よりも小さい原子を有するため、容易に侵入することができるわけです。侵入する位置はすき間の大きい所であり、bccの場合は面とボディの中心とのすき間、fccの場合はボディの中心に入ります。後述する浸炭や窒化、ボロナイジングなどの表面硬化熱処理ができるのはこれらの元素が侵入できるからです、また、この現象は一般的な熱処理技術においても、重要な事柄ですからしっかり頭に覚えておきましょう。

  もう1つは(b)のような置換型固溶体と呼ばれるものです。鉄原子よりも大きいため、侵入することができません。したがって、鉄原子の位置と入れ替わる形です。実用鋼に添加されているMoやCr、W、V、Mn、Ni、Coなどの元素はすべて置換型で固溶体を作っているのです。

(4)拡散   0.77%Cを含む共析鋼の金属組織は、常温ではCをほとんど固溶していないフェライトとFe:C=3:1の比率であるFeCの化合物から成っていることは、すでにお話ししました。この鋼を723℃以上の温度に加熱すると、0.77%Cを固溶した均一なγ鉄になります。そのためには、濃度の高いところから低いところへ、C原子が移動しなければなりません。砂糖水の場合はスプーンで撹拌すれば簡単に混ぜることができますが、鋼の場合はそうはゆきません。鋼の場合は温度を上げて熱振動を与えるか、原子の空孔を増やしてやるかどちらかです。このようにして原子の移動を助けます。この原子の移動を拡散と云います。原子の移動は前述した侵入型、置換型固溶体を作る時ににています。例えば朝の朝礼で男の子、女の子がきちんと縦列で並んでいます。この状態が乱れて男女が入り混じってきちんと縦列で並んでいる。この現象が拡散現象です。バラバラではいけません。元素によって移動する速度、つまり、拡散速度が異なりますが、Cは温度が高い方が(浸炭)、また、Nは温度が低い方が(窒化)速いのです。
(5)凝固   金属が溶けている状態を融体といい、この状態では金属原子は自由に動き回っています。温度が下がってくると原子は自由を失い、原子同志が結びつき合うようになります。この時結びつき方は不規則ではなく、規則正しく結合します。これを単位格子又は核といい、ぶつかり合うまで成長します。成長する方向は最初できた核の方向によって決まり、ぶつかり合ったところで留まり、そこが境界となります。この境界を結晶粒界、また、多角形の1つ1つを結晶粒と呼び、凝固速度が速いほど結晶粒が細かくなります。結晶粒内は樹の枝のようになっているため、樹枝状晶(デンドライト)と云っています。これは先に凝固した樹枝状の部分はCやその他の元素の濃度が少なく、後で凝固する樹枝状間には、逆にこれらの元素や不純物が濃縮されているためです。このように添加した合金元素や不純物が、不均一に分布していることを偏析と呼んでいます。結晶には単結晶と多結晶とがあり、1個の結晶だけでできているものを単結晶、また、無数の微細な結晶から成り立っているものを多結晶と云っています。一般に結晶粒が微細なほど強さもじん性も大きくなるので、この結晶粒の大きさを定量的に測定することが、良く行われています。結晶粒の測定方法については、後で詳しく解説しましょう。
(6)鉄−炭素系平衡状態図

  鉄−炭素系平衡状態図について理解をするためには、相と変態について知識を深めることが大切です。変態については若干触れましたので相について簡単に解説しておきましょう。私たちの身の回りにある物質は、気体、液体、固体の3つの集合状態で存在しているものが多くあります。例えば水がそうです。水蒸気になったり、液体になったり、固まって氷になったりします。これらをそれぞれ気相、液相、固相と呼んでいます。鉄の場合は固相の状態です。前述した変態は加熱・冷却によって可逆的に結晶構造が変化する、つまり相変化をしたわけです。人が何かハプニングがあった時に顔色が変わりますね。人相が変わったのです。これと同じように、相が変わると同じ成分でありながら、異なった性質を示します。炭素などにおいても砂糖、黒鉛、ダイヤモンド皆同じで同素変態の典型的な例です。この相についてはまた後述しますので簡単にしておきましょう。

純鉄にCやMn、Si、Cr、Moなど種々な元素を加えると、その種類と量によって異なった性質が得られます。これは合金を作るからです。合金を作る場合、成分割合によって溶けている状態から、固まって常温になっている状態をグラフに表したものが状態図です。鉄鋼材料の基本となるFe−C系二元の状態図では、横軸にFeとCの成分割合(Wt%=重量%)、縦軸に温度(℃)を取っています。つまり、この図はFeにCの添加量を変えた場合、加熱・冷却をゆっくりと行った時、何度で溶けて何度で固まったか、また、何度で相変化が起こるかを図示したものです。鋼中のCは大体の場合固溶した状態ですから、FeC(セメンタイト呼び、炭化物の1種でFeとCの化合物)かまたは黒鉛(C)の形で存在しているかどちらかです。